20201015

今日は適当な求人案件をいくつかチェックして、応募したりしなかったりした。

 

求人を探す合間に、昨夜みたあるツイートのことをぽつぽつ考えていた。

柴田英里 on Twitter: "杉田水脈批判の言論より、杉田水脈本人の言論の方がずっとクィアなんだよな。「杉田水脈の発言は差別的だから辞職させろ」論者たちの方が、ずっとマイノリティの多様性を認めず追い詰めそうだもの。… "

これは、つまるところ、一貫して名誉男性として発言する彼女の思想を、女性の生き方の一つとして守っていきたいのが目的なんだろう。今盛んに行われているフラワーデモやフェミニストを批判し続けるのも、女性の特性を使って生きてきた女性がこれまでのように生きられなくなることを阻止し、生き方の立ち回りの可動域を守りたいのだと思う。

でも、そういう事を発言して、自分が女だからといって傷つけられた過去や、辛い気持ちはどうするつもりなのだろうか?男性に気を遣い、女性の特性でもってしてサバイブしてきたからには、そうせざるを得なかった事情があるはず。辛い気持ちに蓋をして、理不尽を受けることを織り込んだ生き方を強いられるよりも、女性が自ら責任を持ち、選択して、発言して、自主的に生きられるようにする方が、そんな選択肢すら認められなかった時代よりもずっといいじゃん・・・。こういうと、男尊女卑的な生き方は一切認めません、という風に思う人もいるけど、そんな話ではなく。まさか、そんな選択をする自分は、世間から見捨ててもいい存在に成り下がらざるを得ないとでも思っているのだろうか。そこまで考えているなら、すでに何かをマイナスな気持ちを持っているはずなんだけど。

だから、やたらと意地になって名誉男性的思想を守ろうとすることは、後に続く女性たちに対する怠慢以外のなにものでもないのではないだろうかというようなことを考えた。無論、今を生きるしかないという考えでは、後の人のことなんかどうでもいいのだろうけど。

 

でもこういうことを言うと、男尊女卑の価値観で生きるのも、尊重されるべき一つの女性の生き方と言われる。それはその通りだと思う。本当のフェミニストは、女性の生き方の選択肢を拡げようとしているわけで、誰かを貶めたいわけじゃない。男尊女卑の思想が厳密にジャッジされるようになり大衆から軽蔑対象となるのかはわからないけど、今よりは肩身の狭い思いをしてもいいとは思う。マジメな優等生の意見ではなくて。

それと、なによりこれはヘイトスピーチや人種差別の問題と似ている。男尊女卑の考えは、場合によっては性被害や性犯罪、性差別の問題を抱える女性の人権を攻撃することにもつながるからだ。

実際、杉田水脈の暴言は性被害に遭った女性に対して投げつけたものであったわけで。

 

女性はいくらでも嘘をつける、というのを政治家の女性が自らが発言するのは、男性に対して純粋にフェアになりたいから発言したものではない。男の方向しか見ていないスパイにしか思えない。