1月9日

成人の日。

恋人に振られたり気がおかしくなっていたりしてたので五年前の成人の日よりはずっと今の方がいい。

 

中原昌也の人生相談の本を久しぶりに読み返す。あとがきが沁みた。「他人のことは完璧に理解できないだけで自分の世界の一部であることには間違いない」っていうところ。読み直しすると今の自分の状況に重なるものがあってすごいよかった。

それに付随して、年末に会社の面談でいわれた「おっさんが動かしている組織の中で気が強いとやっていけない」

という評価の仕方は、どうみても個人の性格に言及するものなのでやっぱクソだな〜としみじみ思った。他人の思考が自分の世界の一部なのは重々承知してはいるが、これはただのつまらない脅し。

自分が権力にすがることでしか働けてこなかったのでそういう言葉がでるのだろう。かわいそうだけど、救えない。そいつは今回の一件だけではないのだ。

自分がもし管理とかそういう立場になったら、頭を使って、常に他人を想像しつつ人類愛によって他人を動かせるようになりたい・・・と強く思った。そのためにはものすごく体力・知力が必要だが。

 

今日はこのあとお参りにいき、引き続きまだまだ読み終わらない百年の孤独を読む。

P.S.テレビが壊れたのでお金になる処理方法知ってる方いたらコメントいただけると嬉しいです。

 

1月6日

たぶん親友マスモトさんとの新年会。

裏面やちゃんの年末離婚(3ヶ月)や日本会議の差し止めの話とか、なんやかんやグダクダ話してたけどそんな中マスモトさんがダイソンの最新機器をいきなり購入すると言い出し、どっちの色がいい?なんていうので、青でしょ!といったけどやっぱり安っぽいと思って白!って言った。白買ってた。

そのあと。しっぽりのみたいねということになり、店を移動。

色々聞き出しているうち、

風俗に通算10回くらいいっていて、でもやっぱり愛が欲しいとか言い出したので、私も、まあ、そうだよなあとか思って聞いてたら、「ケンコバの言うように、風俗行ったくらいでグダクダ言う女嫌やわ。」なんていうので、「それはちょっと違うんちゃいますか。」っていうノリで違うんじゃないですか〜??って反論した。

 

その内、わたしは気が緩みまくっていて、マスモトさんの発言にいちいちケチをつけたコミュニケーションをとっていたら、なんでそんな怒ることある?と一言。

たしかになあ。わたしなんでこんな怒っちゃうのかなあ、良くないのかなあと思った。

 

あと、ああ、そうかと思ったのは、

親の痴呆症の話になって、

私の親、ちょっとやばいかもしれないですなんていったら、「ウチの親は何でインサイダー取り引きしたらあかんねんってキレてた」っていってて、

そこで、茶碗蒸しを玄関で冷まそうとした親とはもともとの文化度というか、発想レベルが違うから、マスモトさんが東大なのも当たり前だなあと思った。自分にもし子供が産まれたら、今の自分と同じレベルで話をしようと思うきっかけとなった。

 

あと、わたしのことを無駄遣いが多そうって指摘してきたので、まあまあ当たってるけど、じゃがりこ毎日買わないし家賃光熱費電気代水道代払ってない奴にはどうしても言われたくないと何回も訴えた。

1月3日

昨日は深夜バスを見送ったので、今朝は駅に直結しているホテルにいた。

楽しくて飲みすぎたためだ。

三万円用意していた現金も、あれよあれよと言う間になくなった。

カードもあわせると、今回6万くらい使ったのではないか。わたしは昨日行ったお店で、お金はあるから、使わなければ意味がないということを豪語しまくり、

おごったり、とにかく散財するうちにめちゃめちゃ使っていたらしい。なにせ酔っていたので、あまり覚えていないが。。。

昨日の飲みでは、久しぶりに会ったり初対面の人も多かったけど、みんなお互いにちょっとずつ遠慮しながら楽しく飲もうという心根の綺麗な人ばかりだったのでとても嬉し楽しだった。田舎の人の方が陰湿だなんていうのは、都会に出て行った地方の人が自己肯定のために作った幻想なのではないかとさえ思った。

東京にはすでに帰ったと母には嘘をついて、たらふく飲んだ酒は美味しかった。

自分で帰りの切符を買ってホテルもとったんだからと大きい顔をして明日からまた働く日々が始まる。

 

 

 

 

 

 

1月1日

2017年の1月1日。

いま、わたしは定年退職した父と、スーパーで働く母の住む家でお正月を過ごしている。母がすきやきをつくっている。

きっと退屈になるだろうからとすきやき鍋の下に敷けるくらい厚いガルシア・マルケスの「百年の孤独」と、お金にまつわる将来への不安を年末に誰かから聞いたからという安っぽい影響で図書館から急いで借りたFXの本を持ってはきたが、意識の低すぎる読者(私)が見たくもないテレビを惰性で見続けるものだから相変わらずかわいそうな感じで二冊とも朝から放置されたままの枕元に置いてある。多分読み切らないまま、明日東京の家に戻ることになる。

ふと、この家私にくれないかな〜と思った。実現できるかどうかは置いておいて、築70年は超えているであろうザ・昭和の一軒家がこれから先も私個人の心の拠り所としてこの世に存在してくれればいいと思った。東京で何か嫌なことがあったり行き詰まったりした時に避難できる場所として。トイレはまだボットン式だし、何やら年代物の感じはあるけどガラクタ然りのあれこれがごちゃっと置いてあって部屋は片付いてないし、浴槽は無駄に四角くて少ない水量で入るための工夫のかけらもない。だけど可愛い猫を放し飼いにできるくらい広いし、冬は雪がたくさん積もっていい景色だし、海と山が近い。ご飯が美味しい。時間の流れがゆったりしていて散歩が捗る。ただ、これまで私はこの家で生活したことはない。ここは亡くなった父方の祖父が建てた家で、今や私の実家である。

こういうことになった経緯としては、転勤の多かった父が家を持つのを拒否し続けてきたのに加えて、父方の祖母が亡くなって空き家と化していた頃に父の定年退職のタイミングが重なって、家がないなら空いているから住めばいいじゃない、ということで両親が移り住んだためである。引っ越したのは私含め兄妹が全員上京したあとだったから、父以外この家に暮らした人はいない。母は何やら文句を言っていたような気がするけど、今は家ではテレフォン人生相談を聞いていて夕方からは近くのスーパーで働いて、定年退職した父を養っているんだと言っていた。私はFXをうまくできるようになればもしかしたらこの家と土地、買えるかも!なんてことを思いながらすき焼き用の卵を割った。末っ子なのでもしかしたら考えが甘くなるように育てられたのかもしれない。生活したこともない家を第二の家にすべく私の密かな計画は着々と進んでいた。(脳内で。)

家は完済してて土地は借りてるから土地だけ買うとして、相続税もかかるな、、、。あとは帰るたびに毎回3万円くらいかかるから、月に1回帰ったとしても年に36万。そうなったら年収は今の倍以上は必要で、、、。ん、そう考えたら今の仕事は続けられないからいつ仕事変えよう?変えたら何をする?そもそも私は会社勤めがそこまで向いていないから、定年まで働くことは多分できないなあ。そもそも定年ってこれから何歳になるんだ?定年が関係ない仕事、体力が落ちてもなんとかできる仕事、、、。仮に買えたとして、家が古すぎて地震で壊れたりしたらどうするんだろう。ただ家を引き継ぐだけなのにめちゃくちゃハードル高すぎ。

すき焼きの肉がなくなりかけてパチンコ屋のCMが多めに流れ始めてきたところで、父がタバコを吸いに外に出ていった。母はじゃあ洗い物するからと言って流しの方へ向かった。私はおちゃらけたパチンコのCMを聞きながら余った春菊を一人で食べた。脳内で計画を立てていた時間とは違った時間がしばし流れた。文字盤の大きい時計の針の音がやたらと大きく聞こえた。