1月1日

2017年の1月1日。

いま、わたしは定年退職した父と、スーパーで働く母の住む家でお正月を過ごしている。母がすきやきをつくっている。

きっと退屈になるだろうからとすきやき鍋の下に敷けるくらい厚いガルシア・マルケスの「百年の孤独」と、お金にまつわる将来への不安を年末に誰かから聞いたからという安っぽい影響で図書館から急いで借りたFXの本を持ってはきたが、意識の低すぎる読者(私)が見たくもないテレビを惰性で見続けるものだから相変わらずかわいそうな感じで二冊とも朝から放置されたままの枕元に置いてある。多分読み切らないまま、明日東京の家に戻ることになる。

ふと、この家私にくれないかな〜と思った。実現できるかどうかは置いておいて、築70年は超えているであろうザ・昭和の一軒家がこれから先も私個人の心の拠り所としてこの世に存在してくれればいいと思った。東京で何か嫌なことがあったり行き詰まったりした時に避難できる場所として。トイレはまだボットン式だし、何やら年代物の感じはあるけどガラクタ然りのあれこれがごちゃっと置いてあって部屋は片付いてないし、浴槽は無駄に四角くて少ない水量で入るための工夫のかけらもない。だけど可愛い猫を放し飼いにできるくらい広いし、冬は雪がたくさん積もっていい景色だし、海と山が近い。ご飯が美味しい。時間の流れがゆったりしていて散歩が捗る。ただ、これまで私はこの家で生活したことはない。ここは亡くなった父方の祖父が建てた家で、今や私の実家である。

こういうことになった経緯としては、転勤の多かった父が家を持つのを拒否し続けてきたのに加えて、父方の祖母が亡くなって空き家と化していた頃に父の定年退職のタイミングが重なって、家がないなら空いているから住めばいいじゃない、ということで両親が移り住んだためである。引っ越したのは私含め兄妹が全員上京したあとだったから、父以外この家に暮らした人はいない。母は何やら文句を言っていたような気がするけど、今は家ではテレフォン人生相談を聞いていて夕方からは近くのスーパーで働いて、定年退職した父を養っているんだと言っていた。私はFXをうまくできるようになればもしかしたらこの家と土地、買えるかも!なんてことを思いながらすき焼き用の卵を割った。末っ子なのでもしかしたら考えが甘くなるように育てられたのかもしれない。生活したこともない家を第二の家にすべく私の密かな計画は着々と進んでいた。(脳内で。)

家は完済してて土地は借りてるから土地だけ買うとして、相続税もかかるな、、、。あとは帰るたびに毎回3万円くらいかかるから、月に1回帰ったとしても年に36万。そうなったら年収は今の倍以上は必要で、、、。ん、そう考えたら今の仕事は続けられないからいつ仕事変えよう?変えたら何をする?そもそも私は会社勤めがそこまで向いていないから、定年まで働くことは多分できないなあ。そもそも定年ってこれから何歳になるんだ?定年が関係ない仕事、体力が落ちてもなんとかできる仕事、、、。仮に買えたとして、家が古すぎて地震で壊れたりしたらどうするんだろう。ただ家を引き継ぐだけなのにめちゃくちゃハードル高すぎ。

すき焼きの肉がなくなりかけてパチンコ屋のCMが多めに流れ始めてきたところで、父がタバコを吸いに外に出ていった。母はじゃあ洗い物するからと言って流しの方へ向かった。私はおちゃらけたパチンコのCMを聞きながら余った春菊を一人で食べた。脳内で計画を立てていた時間とは違った時間がしばし流れた。文字盤の大きい時計の針の音がやたらと大きく聞こえた。